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東京地方裁判所八王子支部 昭和33年(ワ)446号 判決 1961年8月31日

原告 酒井忠志

被告 酒井孝三

主文

被告は原告に対し、別紙目録第一の各土地につき、昭和三二年六月一五日釧路地方法務局厚岸出張所受付第三九五号を以て、同第二の土地につき、同年一二月三日同出張所受付第七六四号を以て、同第三の土地につき、昭和三三年三月一八日同出張所受付第一三〇号を以て、いずれも昭和三〇年二月二五日付贈与により、被告のためになされた所有権移転登記の各抹消登記手続をなすべし。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、求める裁判

原告代理人は、主文第一項同旨及び「被告は原告に対し、金二〇万円を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに金銭支払の部分につき仮執行の宣言を求め、被告代理人は、まず、「本件を釧路地方裁判所に移送する。」との決定を求め、本案につき、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、事実上の陳述

請求の原因

一、訴外亡戸主酒井宮吉は、その妻タカとの間に、大正七年三月一六日長男忠雄を、大正一〇年八月一七日次男義男を、大正一二年三月一日三男春雄を、昭和六年二月二二日四男喜久男を、昭和七年九月二日五男たる被告を、外に八女をもうけたが昭和一九年一二月一〇日死亡し、また、右三男春雄は昭和六年九月二七日、長男忠雄は昭和一九年一一月一七日、次男義雄は昭和二〇年九月一四日各死亡した。しかるところ右宮吉はその生前に別紙目録第一、第二の各土地及び第三の土地を含む同所一〇三番地一町三反一六歩の土地(以下、旧第三地という。)を所有していた。

二、右忠雄は、昭和一八年春頃当時立川市で父助太郎、母ツルらの許で暮していたその二女中村ウメと事実上の婚姻をなし、じ来右助太郎方で同楼し、ウメが原告を懐胎した後比島方面への出征に赴き、その後昭和一九年一月一日その出生を見たのであるが、忠雄が下士官の軍籍にあつて婚姻に所属隊長の許可を要する等の関係からこれが届出をしないままとなつていたところ、右出征後許可書を入手してウメに送付し来つたので、かねて忠雄から婚姻及び出生の子原告に対する認知の手続を頼まれていた右中村ウメは、父助太郎と共に北海道に忠雄の父宮吉、母タカを訪ね、以上の次第を話して婚姻、認知の手続に同意、協力を得、所要の印をしてもらつて昭和一九年八月一五日認知届及び婚姻届を作成し、同日所轄戸籍吏たる北海道厚岸郡厚岸町長に提出、届け出で、その受理を見た。これによつて原告は、忠雄の嫡出子たる長男の身分を取得すると共に、右宮吉の家族となり、戸籍上も、右の身分を有する者として、中村助太郎の戸籍から右酒井宮吉の戸籍に移された。

その後前記の如く忠雄は昭和一九年一一月一七日に、宮吉は同年一二月一〇日にそれぞれ死亡したがため、原告は忠雄に代襲して宮吉の家督を相続し、これによつて宮吉所有の前記土地を相続取得し、昭和二〇年一〇月一八日戸籍に右家督相続の登載を受け、昭和二二年五月一日受付第九六号を以て右土地につき取得登記を経た。

三、右の如く前記土地は原告の所有に帰したのに、そのうち別紙目録第一、第二の土地及び旧第三地を分割した同目録第三の土地につき、主文第一項記載の如き、原告から被告に昭和三〇年二月二五日贈与したことを原因とする所有権移転登記がなされている。しかし、原告は右贈与をしたことはなく、右贈与の日付とされている時より後である昭和三二年五月二二日被告は自ら原告の母中村ウメにすすめて旧第三地に、右ウメと被告の双方の出捐で、被告の管理のもとに植林し、収益を原告の教育費に充当することを申し合せ、誓約書まで差し入れた次第であり、勿論当時被告は右目録第一、第二の土地の管理も引き受けていたのである。

四、右の如き事実に反する登記がなされた経過は、被告が原告肩書地近在に居住していた原告の母に前記の如く植林をすすめた際その他の機会に、原告の親権者たる右ウメの印を入手し、これを巧みに盗用して、贈与証書の作成その他の手続を進行させたのによるのであつて、被告の右不法行為の主要行為地は立川市であるが、原告は被告の右不法行為によつて金二〇万円の損害を蒙つた。その内訳は次のとおりである。

(イ)原告の母が被告の本件土地管理に疑を抱き北海道に赴き調査したのによる旅費等の必要費五万円、(ロ)右調査のため弁護士を依頼したのによる報酬金三万円及びその旅費三万円計金六万円、(ハ)本件土地の利用による昭和三十二、三年中の賃料等収入額の喪失による金六万円、(ニ)本訴提起のため弁護士に支払つた着手金三万円。

五、よつて、被告に対し、前記所有権移転登記の抹消と右二〇万円の損害の賠償を求める。

本案前の抗弁(移送の申立)

被告は原告主張の如く印鑑を盗用し不正行為をしたことはない。従つて当庁には不法行為地の裁判所としての管轄権なく、本訴はその目的である別紙目録記載の不動産の所在地の裁判所たる釧路地方裁判所の管轄に属する。さらに本訴は、登記抹消の請求が主で、抹消を求める登記が虚偽の手続によつてなされたことを理由に、付随的に損害賠償の請求がなされているのであるから、その不法行為地も北海道厚岸郡厚岸町であり、不法行為地の裁判所も釧路地方裁判所になる。いずれにしても当庁には本訴についての管轄権はないから管轄裁判所たる釧路地方裁判所に移送すべきことを求める。

本案についての抗弁、答弁

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、第二項のうち、忠雄が比島方面へ出征したこと、原告の母中村ウメがその父助太郎と共に北海道に忠雄の父宮吉、母タカを訪ね、婚姻、認知の手続について懇請したこと、昭和一九年八月一五日忠雄名義の原告に対する認知届、忠雄とウメの婚姻届が所轄戸籍吏に提出され、その受理を見て原告主張の如き戸籍上の変動が登載され、その後原告主張の日に忠雄、宮吉がそれぞれ死亡し、原告がその主張の如き家督相続の戸籍の登載及び土地所有権取得の登記を経たことは認めるが、その他は争う。

しかるところ、右認知、婚姻の届出は中村ウメが勝手にしたもので、忠雄の意思によるものではない。すなわち前記懇請に対し、宮吉は拒否したのに、忠雄の母タカは懇請に負けて宮吉、タカの印と、酒井という印とを貸与したところ、中村ウメにおいて右の各届書を作り、これを届け出たのであつて、右は当時比島方面に出征中で音信不通の状態にあつた忠雄の意思によるものではない。従つて右認知、婚姻共に無効であり、宮吉の死亡により原告がその家督を相続するいわれはなく、ひいて、宮吉所有の原告主張の各不動産を原告が取得した事実もない。昭和一九年一一月一七日忠雄が死亡したので宮吉の次男義雄がその法定の推定家督相続人となり、同年一二月一〇日宮吉の死亡によつて家督を相続したが、義雄も昭和二〇年九月一四日法定の推定家督相続人なくして死亡したので、被告は母タカによつて家督相続人に選定せられ、義雄の家督を相続したのであつて、原告主張の土地は、宮吉から義雄を経て被告の相続取得したものである。もつとも被告は右家督相続の戸籍の届出もせず右土地の取得登記もせずにいたところ、原告はその主張の如く戸籍の登載及び登記を経たのであつて、これらは真実に反するものである。

三、第三、四項のうち、別紙目録記載の土地につき、原告主張の如く被告のための所有権取得登記がなされていること、昭和三二年五月二二日原被告間に、原告主張の旧第三地を被告が管理する旨の申合ができたことは、それぞれこれを認めるが、その他は争う。

本件土地につき真実の所有者である被告が登記名義を取得し(別紙目録第一、第二の土地につき。)、あるいは被告が登記名義を取得した後その所有権を回復取得した(同第三の土地につき。)経過は次のとおりである。

原告の実母中村ウメの兄中村勇司は、原告が戸籍上宮吉を相続し、これによつて宮吉の所有不動産が登記上原告の所有となつていて、ウメが原告の親権者であるのをさいわい、ウメの印を冒用して実質上被告の相続所有した財産の一部たる厚岸町大字奔渡町九六番地の一、宅地二八坪外三筆の土地を訴外酒井政義に売却したので、これを知つた被告は昭和三二年五月二二日原告の親権者ウメに対し、その居宅で、登記上の名義人たりし原告において被告のため右についての回復措置を講じ、なお原告名義にしておくときは将来またこのようなことが起きる危険があるので、原告名義になつている他の一切の不動産を被告に移すよう申し入れたところ、ウメはこれに同意し、双方協議の結果次の約定ができた。

(1)  原告は、右四筆の土地の所有権移転登記の抹消請求の訴訟を、被告のため原告名義で提起し、これが取戻に協力すること。

(2)  訴訟の経費一切は被告が負担すること。

(3)  原告は宮吉からの相続を原因として自己名義にしている一切の不動産を被告名義に移すこと、その方法は、被告に一任し、被告はウメの印を預つてこれを実現すること。

(4)  被告は旧第三地を原告に贈与し、原告のため右土地に植林すること。

かくて、原告は、昭和三二年五月二六日前記酒井政義に対し、当庁に所有権移転登記抹消請求等の訴訟(同年(ワ)第二一一号)を提起し、被告は提訴費用を負担し、他方ウメから所有名義変更のための原因証書の作成その他所有権移転登記の手続一切を託されて同人の委任状、印鑑、印鑑証明の交付を受けて、厚岸町に帰り、橋浦司法書士に事情を説明して右(4) の土地以外の不動産の、被告への所有権移転登記手続を依頼した。よつて同司法書士は、別紙目録第一の土地についての乙第二号証の贈与証書、同第二の土地等についての乙第九号証の一の贈与証書(これら証書の日付を昭和三〇年二月二五日としたのは、原告が訴外斎藤静一郎の養子となつていたのを離縁によつて酒井に復籍したのが昭和三〇年二月五日であり、右の直後に贈与があつたことにしたのがよいと、右司法書士が考えてしたのである。)を作り、前者の不動産については、昭和三二年六月一五日その登記をしたが、後者の不動産については、贈与証書作成直後その一部につき他から売買の交渉があり、登記を見合わせたところ、同年一一月末頃交渉不調におわり、ウメから交付を受けていた印鑑証明のいわゆる有効期限がすぎていたので、改めて同人からその交付を受けて、同年一二月三日その登記をした次第である。

以上の如く、別紙目録第一、第二の土地につき被告は適法に所有権移転登記を受け、名実共にその所有者となつたのであるが、右後者の登記をした頃前記旧第三地の一部を被告から賃借耕作していた者が、自己の所有にすることを策動し、農業委員会も所有名義人たる原告が不在である関係上政府が買収して耕作者に売渡をするのが妥当であるとの意見が強いということを耳にしたので、さようなことになれば、原告と約した植林が不可能となるし、原告からは、実情を知らない原告をだまして右約定をさせたものと誤解されると考え、事情を理解して貰い対策を協議すべく、立川市に中村ウメを訪ね、ウメの母中村ツルを介してウメに対し、前記事情を告げて買収を防止するためには、右土地のうち農地となつている一反五畝の部分を他の原野の部分から分筆し、原野部分を厚岸在住者の名義とするのを良策と考える旨伝えたところ、ウメはツルを介し、事情を諒承し、対策を被告に一任する旨返答すると共に、それに使うため印鑑と印鑑証明書二通を被告に届けた。よつて、被告は右ツルとも協議の上、分筆して原野部分を被告名義にすることにし、右印鑑、印鑑証明書を用い、分筆その他一切の手続を前記司法書士に頼み、分筆の上別紙物件目録第三の土地につき乙第一一号証の一の贈与証書を作成し、昭和三三年三月一八日被告に対する所有権移転登記をした。これ全く、買収防止の手段としてしたことで所有権移転によるものではなかつた。

しかるところ、前記当庁昭和三二年(ワ)第二一一号訴訟事件は、前記の如く原被告相談の上、原告が被告のため、被告の土地取戻に協力すべく提起したものであり、さればこそ被告が提訴費用を負担した次第で、被告は原告の協力に対する報酬の意味で、別紙目録第三の土地を含む旧第三地を原告に贈与したのであるのに、原告は被告との右約定を無視して、昭和三三年三月二二日なんら被告にはかることなく、右事件の被告との間に和解をなし、訴訟の目的たる土地が相手方の所有であることを確認し、相手方から金四〇万円を領取して訴訟を終結せしめ、被告にはなんらの報告すらしなかつたのである。これによつてみるに、原告は被告が原告の協力に信頼しているのを利用して、真実右訴訟を被告のため遂行するかの如く被告を欺き、被告をして右土地の贈与をさせたものである。すなわち右贈与は原告の詐欺による意思表示であるから本訴においてこれを取り消す(本件昭和三五年三月四日の口頭弁論期日)。よつて、別紙目録第三の土地の所有権は被告に復帰し、そしてこれによつて右土地についての被告のための前記所有権取得登記も実体に即するに至つた。

四、以上の次第で原告の請求は理由がないが仮りに被告の右主張理由なく、本件土地はいずれも原告が宮吉から相続取得したとするも、被告の母タカは、宮吉が前記の如く昭和一九年一二月一〇日死亡すると同時に当時応召不在であつた次男義雄のためその所有として善意、無過失かつ平穏、公然に占有を始め、昭和二〇年九月一四日義雄の死亡後は被告の親権者として(被告は昭和七年九月二〇日生れ)その所有として同様の占有を継続し、被告は成年に達して後右タカの占有を継承して今日に至つているから、民法第一六二条第二項により本件土地を時効取得した。よつて、右土地についての登記抹消の請求は失当である。

五、仮りに右主張が理由なく、そして、別紙目録第一、第二の土地及び旧第三地は原告が相続取得したものであるとしても、原告は前記の如く旧第三地を除くその余の取得土地を被告名義に切りかえることを約定したのであつて、右約定は右土地を被告のものとするという合意、すなわち被告に対する贈与というべきところ、被告はこれに基き同目録第一、第二の土地の所有権取得登記をしたのであるから、右第一、第二の土地は被告の所有である。よつて、これら土地に関する原告の請求は失当である。

被告の主張に対する原告の答弁

原告が訴外酒井政義に対し被告主張の如き訴訟を提起し、右事件において和解をしたことは認めるが、その余は否認する。

第三、証拠

原告代理人は、甲第二、第三号証、第四号証の一、二、第五ないし第七号証、第八号証の一ないし二、第九号証の一、二、第一〇号証、第一一ないし第一三号証の各一、二、第一四ないし第一七号証、第一八号証の一、二を提出し、証人中村ツル(つる)、中村勇司、酒井政一、酒井朝一、八幡鉄栄の各証言、原告法定代理人中村ウメの尋問の結果、当裁判所の釧路地方法務局長に対する調査嘱託の結果(昭和三六年三月二二日付回答)を援用し、甲第四号証の一、二は酒井忠雄の書いたものであり、甲第五号証は同人からの手紙であり、甲第一七号証は中村ウメ宛の手紙である、と説明し、乙第二号証、第九号証の一、第一一号証の一はいずれも官署作成部分の成立及び中村ウメ名下(乙第二号証は酒井忠志名下)の印影が同人のものであることは認めるが、その他の部分は右中村ウメの署名を含めすべて否認する、右印影は盗用によるものである、その他の乙号各証の成立はすべて認める、乙第一一号証の二、第一二号証の一ないし七を援用する、と述べ、被告代理人は、乙第一、二号証、第三、四号証の各一、二、第五、六号証、第七号証の一ないし三、第八号証の一、第八号証の二、三、の各一、二、第八号証の四ないし七、第八号証の八、九の各一、二、第八号証の一〇の一ないし三、第九ないし第一一号証の各一、二、第一二号証の一ないし七を提出し、証人佐藤綾子、八幡房子、八幡鉄栄、酒井タカ、酒井富士子、橋浦道の各証言、被告本人の尋問の結果を援用し、乙第五号証は中村ウメ関係部分以外は同人が勝手に作成したもの、乙第六号証は中村ウメが酒井忠雄名義を用いて勝手に作成したものである、と説明し、甲第二、三号証、第八号証の一ないし三、第一〇号証、第一二、一三号証の各一、二、第一六号証の成立は認めるが、甲第五ないし第七号証、第九号証の二、第一七号証の成立は知らず、甲第九号証の一、第一四号証はいずれも官署作成部分の成立は認めるが、その他の部分は不知、甲第一一号証の一、二、第一五号証はいずれも証明部分の成立は認めるが、その他の部分は不知、甲第四、第一八号証の成立は否認する、と述べ、双方各代理人は、甲第四号証の一、二は、原告が本件被告、被告が本件原告の間の当庁昭和三四年(タ)第一一号認知無効確認請求事件のそれぞれ乙第七号証の一、二と同一、甲第五号証は右事件の乙第八号証と同一、甲第一六号証は右事件の乙第三号証と同一、甲第一八号証の一、二はそれぞれ右事件の乙第九号証の一、二と同一、乙第五号証は右事件の乙第五号証と同一、乙第六号証は右事件の乙第六号証並びに甲第四号証と同一であることにつき争がない、と述べた。

理由

まず管轄について判断する。

原告は、原告が主として立川市において不法行為を行つたことを原因として、これによる被告に対する損害賠償請求の本訴(他の請求と合せて)を当庁に提起したのに対し、被告はまず、原告主張の不法行為をしたことはないから当庁に不法行為地としての管轄権がないと主張するのであるが、かように請求原因となる具体的事実の態様が同時に管轄決定の標準となる場合においては、訴そのものすなわち原告の主張する事実、その態様によつて管轄の有無を決すべきは当然である。次に被告は、登記抹消請求を主とし、抹消を求める登記に関しての不法行為による損害賠償の請求を付随的にしている本訴では、その不法行為地も北海道厚岸郡厚岸町であるというが(抹消を求める登記のなされた登記所所在地が厚岸町であるから同所が主たる不法行為地であるという趣旨か、あるいはさらに民事訴訟法第二三条第二項の趣旨を援用する趣旨であろうか。)、右二個の請求の間に主従の別はなく、そして、管轄の基準となる不法行為地とは主たる行為地に限らず、該当事実の一部の発生地でよいのであるから、当裁判所は本件損害賠償の請求につき管轄権を有し、従つて本訴につき管轄権を有する(仮りに不法行為地の管轄を決するにつき、まず事実の存否を確定しなければならないとしても、本件では原告主張の不法行為を構成する事実の一部が立川市あるいはその付近で発生していると認定されること後記の如くである。)。

そこで本案について判断する。

第一、登記抹消の請求について。

請求原因第一項の事実は当事者間に争なく、また、酒井忠雄名義の原告に対する認知届及び右忠雄と中村ウメとの婚姻届が昭和一九年八月一五日所轄戸籍吏に提出せられ、その受理を見たことも当事者間に争なきところ、原告は、右認知、婚姻により原告が忠雄の嫡出子たる長男の身分を取得すると共に、酒井宮吉の家族となつたと主張するに対し、被告は右各届出は、ウメが忠雄の意思に基くことなくして、届書を作成して届け出たものであるから、右認知、婚姻共に当然無効であるとし、原告の右身分取得を争うので、この点について判断すべく、右各届出の経過について検討するに、原告法定代理人中村ウメの尋問の結果により成立を認める甲第四号証の一、二、第五号証、真正に成立したものと認める甲第六、七号証、第一四、第一五、第一七号証(甲第一四号証の官署作成部分、第一五号証の証明部分の成立は当事者間に争がない。)成立に争なき甲第八号証の一ないし三、第一六号証、成立に争なき甲第一三号証の二の証言記載によつて成立を認める甲第一八号証の一、二に証人中村ツル、中村勇司、酒井政一、酒井朝一の各証言及び右甲第一三号証の二の証言記載並びに原告法定代理人中村ウメの尋問の結果を綜合し、乙第五、六号証の存在を合せ考えると、次のように認められる。

訴外亡酒井忠雄は、昭和一八年四月初、当時立川市柴崎町二丁目二五〇二番地の父中村助太郎、母ツルらの許で暮していた右中村ウメと事実上の婚姻をし、同所で昭和一九年六月頃まで同棲し、その間昭和一八年一二月三〇日右両名の間に原告をもうけたのであるが、忠雄は軍籍にあつて航空関係の勤務に服していたので、婚姻にはその筋の許可を要する等のことも手伝つて、ついに右同棲中に婚姻届を出さないままであり、かような関係から原告もいちおう母中村ウメの子として中村助太郎の戸籍に出生の届をしたのであるが(数え年の関係で生年月日を昭和一九年一月一日とした。)、右昭和一九年六月頃いよいよ出征するに至つた当時から右ウメに対し、同女との婚姻及び原告に対する認知の手続をすることを頼み、同年七月五日付で右婚姻の許可書を入手してウメに送付して来た。そこで同女の意をうけたその父母から被告の肩書住所地にいた忠雄の父母らに対し、その手続をすることをはかつたが、かねて忠雄とウメの結婚当時これに同意し、原告の出生を喜んで祝品を送つたりしていた忠雄の父母にももとより異存はなくこれに協力し、かくて双方の父母らの取りはこびによつて、届出人としての忠雄の氏名の記載及び押印をふくめて、忠雄の原告に対する、原告の酒井家に入ることに対する戸主酒井宮吉の同意を含む認知届(乙第六号証)及び忠雄とウメとの婚姻届(乙第五号証)を作成した上、同年八月一五日所轄戸籍吏に提出してその受理を見た(あるいはウメも右手続をすることに加わつたかも知れない。)。すなわち、本件認知届、婚姻届は届出人ないし届出人の一人である酒井忠雄が署名押印したものでなく、また同人が提出にあたつたものでもないけれども、忠雄、ウメの父母らにおいて忠雄の委託によつてその氏名の代書、押印をして作成の上提出したものである(右父母らにおいて自ら事に当つたか、他人を使つてしたかは別として。)。

右のように認定されるのであつて、証人佐藤綾子、八幡房子、酒井タカ、酒井富士子の各証言及び成立に争なき甲第一二号証の二の証言記載中右認定と異る部分は信用できず、他に右認定を覆し、右各届出が忠雄の意思に基かないことを認むべき証拠はない。以下、右の如くにしてなされた各届出の効力について判断する。

本件届出当時における民法第八二九条第一項は、「私生子ノ認知ハ「戸籍吏」ニ届出ツルニ依リテ之ヲ為ス」と規定し、当時の戸籍法(大正三年法律第二六号、以下旧戸籍法という。)は、戸籍の届出は書面または口頭によるべきものとし(第四六条)、その第四七条第一項は、書面で届出をする場合につき、届出人は届書に署名、捺印することを要するものと規定し、またその第六八条第一項は、届出人らの署名、捺印すべき場合に、印を有しないときは署名するだけで足り、「署名スルコト能ハサルトキ」は氏名を代署させ捺印するを以て足り、署名不能かつ印を有せぬときは氏名を代署させて拇印するを以て足る旨規定している。ところで右第六八条第一項の捺印においては、本件におけるが如く第三者が本人の委託によつて調印することは許されていたものと解すべきであると共に、本件届出当時届出人酒井忠雄が出征中であつたこと前記認定の如くであるから、同人は右法条にいう「署名スルコト能ハサル」場合にあつたものとなすべきであり、従つて前記の如くにして作成された本件認知届は、適法に作成されたものといわねばならぬ。そして書面による届出において、届書を戸籍吏に提出する(到着せしめる。)のは、本人自らその事に当るを要せず、他人によつてなすも差支ないことは勿論であるから(旧戸籍法第五七条は、口頭による届出について、届出人の本人出頭、本人陳述を原則とした上、その第三項で、疾病等により出頭不能の場合につき、代理人による届出を許容する旨規定し、そして同法第八七条は、右第五七条第三項の規定を認知の届出に適用しない旨を規定しているのであるが、口頭による届出に関してのこれらの規定は、書面による認知届出における届書の作成、提出等にかかわりあるものではない。)、本件において認知の届書の提出ももとより適法というべきである。すなわち、届書の作成、提出共に適法であつた本件認知は、その効力を生じたこと勿論である(もつとも、旧戸籍法第六八条第二項は、前記同条第一項の場合においては、書面にその事由を記載することを要する旨規定しているのに、乙第六号証には忠雄の署名不能の事由についてなんらの記載がなされていないことが認められるから、この点で本件認知届は違法であるといえるが、それが受理された以上、届出人忠雄に認知の真意が認められる本件においては、右はなんら認知の効力を防げるものではないと解するのが、右法条の精神からいつて当然である。)。次に婚姻の届出について判断するに(もつとも、認知にして有効なること右の如くなる以上、本件婚姻の効力は原告が嫡出子たる身分を取得するか否かに関係があるだけで、忠雄に他に直系卑属のない本件では原告の代襲相続にかかわりはない。)、当時の民法第七七五条第二項は、婚姻の届出は当事者双方らから口頭でまたは署名した書面を以てなすことを要する旨規定し、以て口頭届出につき本人出頭を、書面届出につき自署を要求しているので、前記の如き本件届書による届出は違法たるを免れないが、それが受理された以上、同法第七七八条第二号但書によつて有効たるを失わない(もつとも、右民法第七七五条第二項の規定自体は本人出頭あるいは自署を要求していないと解すれば、――旧戸籍法第一〇三条が、婚姻届出について、前記同法第五七条第三項の口頭届出における代理の許容の規定の適用除外を特に規定しているのは、その反面において、民法の右規定自体では、本人出頭さらには書面届出における自署の意味での「署名」は要求されていないと解する根拠となろう。――、本件婚姻届出は、右民法第七七八条第二号但書の規定をまつまでもなく、認知届出における前記と同一の理由でもともと適法な届出として有効ということになるであろう)。

右の如くであるから、原告は、昭和一九年八月一五日忠雄の嫡出子(長男)の身分を取得すると同時に亡戸主酒井宮吉の家族となつたものというべく、従つて当事者間争なき忠雄、宮吉の各死亡により、昭和一九年一二月一〇日右宮吉の家督を相続し、よつて当事者間争なき右宮吉の所有財産であつた別紙目録記載の第一、第二の土地及び同第三の土地を含む旧第三地を相続取得したことになる。

しかるところ、右目録第一、第二の土地及び旧第三地を分割した同目録第三の土地につき、それぞれ主文第一項記載の如き被告のための所有権取得登記がなされていることは当事者間争なく、原告は右は被告が無断でなしたものであると主張するに対し、被告は、まず、第一、第二の土地は原告の同意により右各登記をなし、第三の土地については、旧第三地を原告に贈与し、その後他の目的から分筆して第三の土地の所有名義のみを被告に移した後右贈与の取消により右第三の土地の所有権も被告に復帰したと主張するのである(被告の主張三)。この点の被告の主張内容を検討するに、要するに、被告が土地を相続取得した実質上の所有者であることを前提として、原告の同意で右の実体に適合する登記をしたとか、被告の相続による所有地を原告に贈与して後これを取り消したと主張するものであるから(それは被告の土地相続の事実の主張を出るものではない。)、土地を相続取得したのは被告でなく原告であること前記の如くである本件においては、右主張は、登記原因の主張として主張自体理由なきに帰する。のみならず本件においては、別紙目録第一、第二の土地が被告の所有であるとしての(被告の所有であるからという理由での)、原告の、名義変更に対する同意の事実さえ肯認できず、被告主張の旧第三地の贈与なるものにつき、原告に詐欺の意思があつたなどとなすべくもないことが認められるのである。

すなわち、本件各登記のなされた経過等を検討するに、この点につき証人八幡鉄栄、酒井富士子の各証言及び被告本人の供述中被告の主張にそう部分は信用できず、諸書証も被告主張の趣旨において採用できないこと後記説示のとおりであり、他に被告の主張を肯認すべき資料は存せず、却つて成立に争なき甲第三号証、第一〇号証、真正に成立したものと認める甲第九号証の一(官署作成部分の成立は争がない。)、二、証明部分の成立に争なく、申請部分も真正に成立したものと認める甲第一一号証の一、二、成立に争なき乙第一号証、第七号証の一ないし三、第一〇号証の一、二に、証人中村ツル、中村勇司、酒井政一、酒井朝一、橋浦道の各証言、原告法定代理人中村ウメの尋問の結果及び証人八幡栄の証言と被告本人の尋問の結果の各一部を綜合し、乙第二号証、第九号証の一、第一一号証の一の各存在の事実を附加して考えると、次のように認められる。

宮吉からの相続により原告名義になつていた被告主張の土地四筆(以下単に「四筆」という。)を訴外酒井政一が長男政義名義で、中村ウメに無断で事に当つたその兄中村勇司から買い受け、登記をすませたことがあり、それを知つた被告は訴外八幡鉄栄を伴つて昭和三二年五月一八日頃右ウメを立川市付近の住所に訪ね、右の事実を話し、費用は全部負担するから取り戻してくれと頼んだ。その際被告は「四筆」は原告名義の土地全部である旨を告げたので、原告名義の北海道の土地の存在、その範囲等について明確な知識をもたなかつたウメは(前記当事者間争なき原告の相続による土地取得の登記完了の事実からすればこの点疑がないではない。しかし、証人酒井タカの証言、被告本人の供述等によつても認められる、原告名義の土地について、一切の管理は被告方でなし、徴税令書の交付を受け、その支払をするのもすべて同様であつた事実等から中村ウメの供述する如く、知らなかつたものと認めるのが相当である。知つていたとすれば、特段の事情の認められない本件で、なおさらに、被告主張の如き一方的な約定をするわけはないし、後記認定の取りきめをするはずもなかろう。)、これを信じて事の重大性を感じ、土地全部を取り上げたことになる政一の仕打を恨み、弁護士の意見をきいたところ取り戻せるということであつたので、訴を起す方向に心をきめた上で右五月二二日前記両名と自宅で会合して談合し、希望を述べあい諸般の取りきめをした。右弁護士の意見もあつて、皆取戻の可能を信じており、かような前提の下で、ウメは、被告が費用を負担すること故、取戻の上はその土地を原被告間に切半することを要求、主張したのに対し、被告は、現に自分が使用中で、半分にしては役にたたなくなるから、右「四筆」は自分のものとし、その代り他に亡酒井義雄名義の旧第三地があり、これに植林すれば一〇年もすれば相当の財産になるから、この土地を原告に与え、被告及び鉄栄が植林してやるからそれで承諾してくれと、当時原告名義の土地であるのに、義雄名義のもので新たに贈与する如く申し入れ、真相を知らぬウメは、原告の成長後役に立てばよいという考から右申入を受け入れ、各土地の帰属関係を申出どおりにきめると共に、右両名が自ら申し出た旧第三地に昭和三三年、三四年春期二期に植林することをひき受けてもらい(証人八幡鉄栄の証言によつて認められる、同人は昭和三四年七月当時において植林はおろか右土地を見ることもしていない事実、被告本人の供述によつて認められる、被告は右土地、少くともその一部をおそくも昭和三三年中に他に賃貸耕作せしむるに至つた事実の如きは、植林の申出自体も真意でなかつたことを窺わせる。)、その費用には、右三名間で政義に対する訴訟で損害賠償がとれることを予定していて、その賠償金をあて、とれぬときは被告及び中村ウメの折半立替負担とし、将来売木のとき返済を受けることにし、右の如く植林費にあてることにした損害賠償金の受領権をウメから八幡鉄栄に与えることにした。そして右数多の取りきめにつき、乙第七号証の一、乙第一〇号証の一(乙第一〇号証の一中「酒井忠志名義にきりかえた」の字句につき、ウメは、酒井義雄からきりかえたものと信じていた。)、甲第三号証、乙第一〇号証の二、乙第七号証の三(乙第七号証の三の記載中「五月二十一日付をもつて」とあるのは、なにかの間違であろう。)等の文書を、いずれも昭和三二年五月二二日付を以て作成してウメから差し入れ、あるいは相互に交換した(これら文書の作成が被告が被告側の主唱によることは、中村ウメの尋問の結果等によつて明白であり、特に乙第七号証の三の中村うめの捺印らんのしるしはそれを物語つている。また、右の如く詳細な文書が取りきめごとに作成されたのに拘らず、これら文書の記載内容に比しはるかに重要であるべき、被告主張の如き、別紙目録第一、第二の土地を原告から被告名義に移す旨の約定に関する書面が作成された事実はなかつた。)。そしてそのときさらに、ウメは前記約定に従い、「四筆」の取戻ができた上で、これを被告名義に移すのに必要な書面として、被告にあて乙第一号証の「酒井忠志名義の土地に関する一切の権限」を与える旨の委任状を作成交付したのであるが(原告法定代理人中村ウメは、右乙第一号証は旧第三地に関してのものである旨供述しているが、同人の供述の全趣旨並びに右の記載文言自体から、右供述部分は明かになにかのかんちがいで、右の如く「四筆」に関してのものと見るべきであつて、また当時ウメが「四筆」が「忠志名義の土地」の一切であると考えていたこと前記の如くであるところから「四筆」の趣旨で右の字句を用いたものと見られる。)、右委任は右のような作成目的から前記諸文書と異り、ことさら日付を記入しないで渡したのであり(証人酒井富士子も、乙第一号証が作成日付白地であつたのを、自分が被告の委託で記入した旨述べている。)、右の如く乙第一号証の委任状の「酒井忠志名義の土地とは、「四筆」の趣旨に外ならずして、その語句の故に、当時ウメの意中になかつた忠志名義の他の土地である別紙目録第一、第二の土地などを含むものではなかつたのである。すなわち、ウメは右乙第一号証によつて右目録第一、第二の土地の名義書換を被告に任せたものではないのである。ついでこれら文書作成の上、被告は、「四筆」が道路にかかり、そのことで前記酒井政一が当局と争を生じており、原告名義で所要の手続をする必要があるからと申し向けてウメに印と印鑑証明を要求したので、これを信じたウメは被告、鉄栄らに印を渡し、鉄栄らにおいて立川市役所で翌二三日何通かの印鑑証明の交付を受け(乙第七号証の二はその一通)、印鑑証明とウメの印を持つて北海道に帰つた上、被告は乙第一号証に日付を記入してこれを示し司法書士に依頼して、右印鑑及び印鑑証明を冒用して昭和三二年六月初旬別紙目録第一の土地に関する乙第二証の、同第二の土地等に関する乙第九号証の一の各原告から被告に対する昭和三〇年二月二五日付贈与証書を作成し(両証は文言を異にしており、別々に作成したのかも知れない。)、第一の土地については当事者間争なき昭和三二年六月一五日その登記を経たが、後者については登記がおくれ、持ち帰つた印鑑証明の期限がきれたため同年一一月頃鉄栄をつかわして辞をもうけてウメに印鑑証明の交付を求め、ウメは信じて印を渡し、鉄栄は何通かの交付を受けて持ち帰つたので、これを使つて当事者間争なき同年一二月三日の登記を了した。その後同年一二月中被告自ら中村ウメの母ツル、兄勇司らを訪ね、原告名義にした旧第三地が農地買収にかかるおそれあり、その防止のためウメの印及び印鑑証明が必要であると申し向けたが(すでに本件諸交渉のはじまつた昭和三二年五月以前からウメは右母、兄らに原告を託し、近くの他所にいた。)、ツルらはウメが当時被告に対し心証を害しているのを知つていたので、間にたつてウメに対し原告の学校のことで印が入用といつわつて借りて被告に渡したので持ち帰り(あるいはこのときも印鑑証明の交付を受けたかも知れない。なおウメは後日に被告に印が渡されたことを知つた。)、旧第三地を分筆の上、右同様右の印などを使つて分筆後の別紙目録第三の土地についての乙第一一号証の一の前記同日付原告から被告への贈与証書を作成し、当事者間争なき昭和三三年三月一八日付登記を了した(しかも、被告本人が買収防止のためになしたと供述する登記内容は、成立に争なき乙第一一号証の二の記載と一致しないものの如くである。)。

他方、原告(その親権者中村ウメ)を原告とし、酒井政義を被告とする「四筆についての所有権移転登記抹消請求等の訴訟は昭和三二年五月二六日当庁に提起せられ(同年(ワ)第三一一号、右提訴の事実は当事者間に争がない。)、被告の費用負担で進行してゆき、昭和三三年三月二二日証拠調が厚岸簡易裁判所で行われることになり、ウメは右裁判所に赴いたのであるが、その際、かねて被告が前記の如く辞をもうけて人を介して印を入手して持ち帰つたり、右証拠調のため日程上出発を要する直前に酒井タカから中村勇司に対し甲第一〇号証の不可解な電報(その「カツ」を「タツ」の誤電と見ても、その全文は被告側の意思につき疑を持たせるものである。)をよこしたりしたため、被告に対し疑を抱いたウメにおいて調査したところ、厚岸町役場に、かつてウメが斎藤姓当時、その名で、被告肩書地に居住しているものとして印鑑届がしてあつたり(証人酒井タカもかかる虚偽の届出をした旨述べている。)、ウメの被告に対する昭和三二年四月二二日付委任に基き、右同所に居住しているものとして、同日付で虚偽の印鑑届がしてあつたり、さらには「四筆」以外にも原告名義の土地があるのに、それが不知の間に被告名義に書きかえられている事実等も判明し、従来の被告のウメに対する約定は全く欺罔であり、自分の方だけ約束を履行することはできないという気持になり、そして、右訴訟事件においては、目的たる「四筆」はもと宮吉の先代金槌が生前酒井致一に与える約定をしていたというような相手方に同情すべき事情のあることも分つたので、被告主張の如き和解をなし(右和解の事実は当事者間に争がない。)、そのことを訴訟代理人から被告側に伝えるにとどまつた。

以上のように認定されるのである。すなわち、被告のこの点の主張(その主張三)は、正当な登記原因の主張としては主張自体理由なきこと前記の如くであるのみならず、被告主張の如き、原告の、別紙目録第一、第二の土地が被告の所有であるとしての、これら土地についての被告への登記名義変更に対する同意(かかる同意が独立して登記原因となり得るや否やは別としても。)も肯認されず、また、被告主張の旧第三地の贈与なるものが原告の詐欺によつて成立した事実(贈与の取消によつて復帰すべき所有権がもともと被告にあつたか否かは別としても。)も否定されること右認定の如くであるから、いずれにしても、被告の主張は全く採用に値しない。

次に被告の時効取得の主張について判断する。

この点につき被告は、本件土地を、被告の母酒井タカは、宮吉が昭和一九年一二月一〇日死亡してからは、当時不在の、宮吉の次男義雄が家督相続により取得したとして、同人のため代理占有をし、義雄が昭和二〇年九月一四日死亡してからは、選定により昭和七年九月二〇日生れの宮吉の五男たる被告が家督相続により取得したとして、被告のため親権者として代理占有をし、被告が成年に達してからは被告自ら同様相続取得したものとして占有を継続し来つたとし、以上の占有を併せ主張するのである。

以下、仮りに本件土地の占有間係が右の如くであるとして判断するに、酒井タカが原告の出生を当時知り、昭和一九年八月一五日忠雄が原告を認知して宮吉の家に入らしめたのについてこれに関与したこと前記の如くであり、少くとも右認知、入家の事実を当時知つたものであることは前記認定に徴し明白である。して見ると、宮吉の死亡した昭和一九年一二月一〇日当時右タカが忠雄の死亡の事実を知つていたとすれば(証人中村ツル、酒井朝一(その尋問調書中「忠雄の公報」の時期についての証言に対応する尋問中「酒井忠雄の葬式」とあるのは「酒井宮吉の葬式」の誤記である。)の各証言、前記甲第七号証等によれば、タカは宮吉死亡の直後に忠雄の死亡の知らせを受けたものと認められる。)、原告が家督を相続したことを知つたもの、少くとも知る筈であつたものとなすべく、また忠雄の死亡の事実を知らなかつたとすれば、忠雄が家督を相続したものと考えたもの、少くとも考える筈であつたものとなすべく、そのいずれであつても、義雄のためにその所有であるとして(相続取得したとして)なした右タカの占有は、悪意または過失あるものといわねばならぬ。すなわち、被告が取得時効の原因として主張する占有は、その始において悪意または過失あるものであるから、その時効取得の主張は採用できない(仮りに、酒井タカが被告のために占有するに至つた時から後の占有を援用するものとしても、右の時期においては、さらに強く、タカは原告が家督を相続したことを知つたもの、少くとも知るべきであつたものとなすべきこと前記説示によつて明白であつて、被告の主張は同様理由がない。)。

次に被告の贈与による別紙目録第一、第二の土地の取得の主張について判断する。

被告はここでその前主張(被告の主張三)をうけ、原告は、被告の前主張の如く、別紙目録第一、第二の土地の所有名義を被告にきりかえることを約定したのであるから右は贈与である、と主張する。しかし、右の前主張は、原告が右各土地がほんらい被告の所有であるとして、登記名義を被告に移すことを承諾した、というのであるから、仮りにかかる承諾の事実があつたとしても、それが贈与とならないことは明白であり、被告のこの点の主張もそれ自体理由なきに帰する。しかも、右各土地が被告の所有であるとしての、原告の、登記名義変更に対する承諾の事実も肯認されないこと前記の如くであるから、いずれにしても被告の主張は採用できない(なお、被告はここで昭和三二年五月二二日の談合における贈与を主張し、そしてその理由なきこと右の如くであるが、なお被告は成立に争なき乙第三号証の一、二の手紙によつて、昭和三〇年二月当時における本件土地についての原告から被告への贈与を主張するものの如くであるが、右の手紙の趣旨からするも、また前記の如くウメが当時本件土地の存在を知らなかつた事実からするも、右の手紙の中の、酒井家のものをどうこうと考えたこともない旨の文言を、あえて土地贈与の意思表示と見ることはできない。)。

以上の如くであるから本件登記抹消の請求は認容すべきである。

第二、損害賠償の請求について。

被告が原告に対する不法行為によつて本件土地の登記簿上の所有名義を取得したこと前記認定の如くであり、その回復のため原告の費した費用その他これがため原告の蒙つた損害が被告によつて填補せらるべきは当然であるが、原告主張の四、(イ)ないし(ニ)の出費等についてはこれを確認すべき証拠がないから(なお、右のうち(ハ)の損害なるものは、登記名義変更の不法行為によるものとはいえないであろう。)、原告の損害賠償の請求は、結局棄却を免れない。

よつて、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文の如く判決する。

(裁判官 吉原勇雄)

目録

第一、

(北海道)厚岸郡厚岸町大字奔渡町一二六番地の一

一、宅地 四一坪八合五勺

右厚岸町大字奔渡町字獺内一五一番地

一、山林 一反一三歩

右厚岸町大字床潭村番外七番地

一、畑 四反一畝二歩

右厚岸町大字床潭村番外一一番の四

一、畑 二反五畝三歩

右厚岸町大字床潭村字床潭四〇番地の一

一、畑 一反五畝歩

右厚岸町大字床潭村字潭七二番地

一、雑種地 二反三畝八歩

右厚岸町大字床潭村字床潭四〇番地の二

一、原野 六反八畝一八歩

第二、

右厚岸町大字奔渡町字獺内一五〇番地

一、畑 二反九畝二七歩

第三、

右厚岸町大字真龍町字真龍一〇三番地の一

一、原野 一町一反五畝一六歩

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